Monday, April 27, 2009

チャンピオン自転車選手が経営し、メリダは欧州で大変身

金融危機による世界不況をよそに、自転車大手メーカーのメリダは売り上げの記録を伸ばし、122億台湾ドルに突破しました。
メリダの主な市場はヨーロッパで、その売り上げは五割に達しました。またヨーロッパでのメリダ自社ブランドの売り上げは35%を占め、年間成長率は二割を上回りました。自社ブランドの成功こそが、不況にも売り上げは記録を破る鍵だと考えられます。

メリダ社の社長兼取締役の曾鼎煌さんは1992年からヨーロッパに進出して、自社ブランド展開を図っていました。しかしながら、10年間努力しつつも、また低級ブランドと見なされていました。七年前、曾さんはドイツの伝説のチャンピオン選手と出会ったことで、台湾2位の自転車メーカーの運命が変わったのです。彼はメリダドイツ子会社の社長であるワーフカン・レナー。
今年62歳になる彼は、1971年から三年続けてドイツのロードレースで優勝しました。レナーはメリダの欧州市場の経営者である。2002年、彼が引き継ぐ前は、メリダの欧州での平均価格は250ドル~300ドルで、低価格ブランドと見られていました。高度成熟化の欧州には、高級サイクリングショプの90%ではメリダの自転車は売れていなかった。
最近になり、やっとメリダの平均価格は1500ドルに上がりました。七年間でねだんが四倍も跳ね上がり、見事に高価自転車のトップファイブに入りました。しかし、レナーとメリダの成功は失敗の経験から生まれました。2001年のとき、レナーは自分のブランド「センチュリオン」(Centurion)を作り、高級品市場を狙いました。協力工場は予定どおり出荷できず、ひどい損害を出しました。同じ年、台湾にあるメリダは大きい取引先が倒産したために、三割の注文を失い、委託生産からブランドの道へ決行せざるをえませんでした。
失敗を経験した二つの会社は、お互いに協力することで利点を見つけていました。レナーにとっては、強いメーカーが必要だった。メリダもブランドのパートナーをさがしていたから、両社の協力体制はスターとしました。

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